共に歩むってことか
昨日は夜中まで嫁さんと話をした。話し合いといったほうがあてはまるか。
五歳になる長男の口答えがこのところ著しく多くなっている。しかも、その言い方がなんとも癪に触る。感情をなぶられて子供相手についついいつも本気になって怒ってしまう。
どうしたものかと悩んでいたのは俺も嫁さんも同じだった。妹ができたから、そちらに手がかかってなかなか長男の相手をできない。五歳なんだから自分でやれるだろうと突き放してしまう。
五歳児にできることはたくさんあるのだろう。一方、五歳児だからこそ親にやってほしいと甘えたいこともたくさんあるんじゃないだろうか。彼はひょっとすると寂しがっているのでは。そんな話になった。
「俺の心に余裕がない」
先日ふと思ったこと。毎日ギリギリテンパって暮らしてるから、何事も真正面から受け止めてしまう。受け流すことができない。
俺たちは大家族じゃないから、余裕がないんだ。そう考えてた。けれど、嫁さんと話し合うことで少し変われた気がする。何らかの答えが出たってわけでもないんだけど。
いつもならシャツをズボンに入れるなんて「自分でやりなさい」と一喝するところなのに、今朝は自然と「自分でできる?できないならこっちおいで」とやわらかいセリフがすっと口に出た。息子もうれしそうだった。
悩んでることを嫁さんと話し合う。たったそれだけのことで俺の中の何かが変わった。これはすごいことだなと思う。
この気持ちの変化が「愛」ならば、愛は家族が話し合ったり、協力しあって育んでいくものなのかもしれない。
子育てはまだまだわからないことだらけが、「嫁さんと話し合う」というひとつの活路が見つかった。道が開ければ、まずはその道を歩いてみるだけだ。
しばらくは寝不足の日々が続きそうだな。
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